日光の伝統工芸
〜日光彫〜
日光彫の起源は、明確ではありませんが、寛永11年(1634)から同13年(1636)にかけて、三代将軍家光が日光東照宮を現在の荘厳華麗な社殿に造り替えたとき、全国から集められた名匠たちが余技として作ったのが始まりと考えられています。
日光東照宮は、元和3年(1617)に創建されましたが、前記の寛永造替工事は創建の規模を一新するほど大がかりなもので、この造替にあたった大工内夫は延べ168万人、内彫刻大工が40万人におよび、この後も中・小規模の社殿の建築や改修がたびたび行われているため、日光に永住した匠も多かったと思われます。
日光彫りの技法は、ヒッカキ彫をはじめ、ウカシ彫・スカシ彫・マル彫・カゴ彫などの方法がありますが、いずれの彫にも「ヒッカキ」と呼ばれる独特の「三角刀」を用いるのが大きな特色となっています。
ヒッカキは、線彫用の刃物ですが普通の三角刀と異なり、先端を約60度に折り曲げた「切出し」を手前に引いて彫るところから「引掻き」と呼ばれたもので、日光東照宮社殿の修理の際、漆をかき落としにくい個所のために工夫した刃物を、彫刻用に改良したものといわれており、彫りの深い、男性的な曲線を描く日光彫りにはなくてはならない彫刻刀です。
彫の図案に牡丹・菊・梅・桜など、植物が主に用いられているのも日光彫の特色の一つで、ここにも、日光東照宮の彫刻紋様の影響が強くうかがわれます。
木地には、「県の木」でもあるトチノキやカツラ・ホウなどが用いられ、製品は各種盆類のほか、茶たく・菓子器・銘々皿・引き出し・テーブル・花台など、種類も豊富です。
いずれの作品も、手作り感はもちろんのこと、「木」の持つ温かみを生かし、年季の入った職人芸で、男性的でそれでいて繊細な気配りを見せる彫り口は、単なる日用品の域を超えた格調ある作品となっています。
〜日光下駄〜

日光下駄の台はホウの木(上等品)、ハンノ木(実用品)が用いられていましたが、今では軽さを求めてカワヤナギ・ヤマギリが使われており、これに竹の皮で編んだ表(おもて)を麻糸で台に縫い付け、打ちぬいたワラを芯にした木綿の鼻緒がすげてあります。
鼻緒は、前緒は台木の穴を通していますが、横緒は台の下に通っていず、緒をつけた草履を台につけたような形になっています。
台木も、歯の側面が下部に行くほど広く、安定して雪もつきにくいなど、独特の工夫がほどこされ、清潔で足になじみ、民芸品としての風格も備えています。
〜日光茶道具〜

茶わん・茶たく・茶がま・菓子鉢・きゅうす・ひしゃく・茶こぼしなど可愛らしい茶道具10種類がお盆に乗せられています。
サクラ・カリン・ケヤキ・ミズキ・イゴの木・トチなど数種類の素材を道具の特色に合わせて使い分け、木工技術ならではの味わい深い民芸品です。
〜日光堆朱塗(にっこうついしゅぬり)〜

日光の漆器は、寛永年間に日光の住人田口源内が、日光山の木地を使用し、大輪と称する飯櫃(めしびつ)や膳などを作り春慶塗と称して販売したのが始まりといわれますが、一説には、やはり寛永年間に宇都宮藩の戸田氏が前任地の江州日野の漆工を招き、日光に日野の春慶塗を伝えたのが始まりとも言われています。
現在、日光彫の塗装は、安価で、しかも日光彫りの彫り口を生かしたポリウレタンなどの洋塗装がほとんどで、日光堆朱塗は高級品のみですが、昭和初期に鈴木島吉氏が創始した「紅葉トギ出し」の塗装技法や、同じ頃中山勝一氏が創案した「古代塗」など、芸術味豊かな作品も生まれています。